産業革命以降、私たちの生活は全て時間に追われている。時は金なりとはよく言ったもので、私たちは時間を機会費用という名前でコスト計算までする。西洋史観で時間という概念を括ると時間には重みも色もなにもない。ただただ、横一直線に進んで止まらないのが時間という概念。

師である堀貞一郎先生に21歳の時にこんな話を聞いた。

「青ちゃん、24時間の半分は何時間だ?1時間の半分は何分だ?1分の半分は何秒だ?1秒の半分は何秒だ?0.5秒の半分は何秒だ?時間というものは切っても切っても切れないものなんだよ。これを仏教では刹那という。僕達人間は1秒の中をグッと深く深く考える事もできるんだ。時間に流されず、時間掘り下げてごらんよ。」

聞いた途端はぁ~。すげーなー。と思った。私の中で、この言葉は重く響いている。今までもこれからも。私たちはただただ漫然と時間を過ごしているのではなく、同じ時間を過ごしている人間の中にも深い、重い、時間を過ごしている人間も居る。時間を大切に生きることが情報技術の進化の中でもっともっと大切になる。単なるスケジュール管理(量的時間管理)と物事を突き詰め深く考える時間(質的時間管理)の2つの側面の時間の管理をしっかりしていきましょう。

因みに堀先生は時間に非常に厳しい方で、約束の時間に遅れる相手とは話をする気すら起きないとおっしゃっていました。時間を大切にする人は他の人の時間も大切にしましょう。もし、あなたが時間が守れないのであれば、他の人の人生をムダにしているのかもしれません。私も今一度時間管理をしっかりしたいと思った夜でした。