ある昼下がり、20年以上お世話になっている社長と打ち合わせをしていました。打ち合わせといっても、ヒアリングしながら社長の頭の整理をするようなことをダベリながら行なっていました。すると社長がポツリと重たい話をしはじめました。

「青田よ、最近思うんだ。もう誰かにすがって仕事をする人間は要らない世の中になるよね。」

江戸時代以前、日本ではやった分だけ貰う権利があった。高度成長期以降、居るだけで権利を主張し貰う権利が生まれた。働いてあげてるんだから、金くれ。という人が増えた。という話だった。

わたしのようにフリーで働いていると、働いた分しかお金にならない。最悪の場合としては働いてもお金を貰えなかったり、お金を頂戴するのが申し訳ない状況さえある。企業の中に居ると属しているだけで、権利が生まれる。その権利を主張してもいいという法律もある。しかし、何もしていないのにクレクレはありえない。そんな人が多い企業は競争力もなくなる。そんな人が多い国は競争力も無くなる。

時代は独立した人を求めている。責任ある個人を求めている。能動的に動く力のある個人を求めている。口を開けて餌を待つ鳥ではなく、自ら餌を見つけ取ってくる猛禽類のような鳥を求めている。そんな人材はそうは居ないがそんな人材が企業を成長させ、国を強くするんだよなと思った。でも、どんな時代でもそんな人材が世の中を変えていくんだろうと思う。

マイ・フェア・レディの著者でノーベル賞受賞文学者である、劇作家バーナード・ショウの言葉でこの投稿を締めくくるとする。

「物分りのいい人は自分を世の中に適合させる。
わからず屋は自分に世の中を適合させようと頑張る。
だから、全ての進歩はわからず屋のおかげである」