コミュニティの崩壊が社会を不安定にさせるということを何度か書いています。まぁそもそも家庭が崩壊しているから地域社会が崩壊するし、経済が家庭を崩壊させているのかもしれないですし、問題は一つではなく複数の状況から生まれているとしか考えようがありません。今回はそのひとつの要因である教育について考えてみました。

地域と一緒に育む教育とか標榜している地域もあります。でも、それは地域社会が機能している時の話です。子供が飲酒したりタバコをすったりしているところを近所のおじさんが見かけると真剣に怒鳴るそんな地域ではありでしょう。しかし、ここまで核家族化が進み、隣に誰が住んでいるのかわからないような都市部の住宅密集地においてはそんなことはありえません。となるとそれは単なる教育委員会のエゴでしかありません。

となると教育はどうあるべきなのか?職業としての先生を営む方も多いと思います。先生の中にも先生を指導するアツい先生がいなくなっているのかもしれません。先生同士で先生はどうあるべきなのかを語らなくなっているのかもしれません。それほど忙しく大変な職場なんだと思います。でも、それって何処かと似ています。それは地域社会です。子供をしかる雷おやじ、近所の怖いあんちゃんがいなくなっている状況と似ている気がします。他人を思いやる、仲間を思いやるそんな気持ちが薄れるとそういうことが起こるのかもしれません。

そう考えると学校教員同士でチームワークを高めることをしないといけないのかもしれません。どんなに忙しくても皆で何か一つのことをして相互のコミュニケーションを高めることがまずは大切なステップになるくらい、教員同士のコミュニケーションが希薄なものになっているのかもしれません。

とはいえども、先生は先生。先に生きて、生き方を示す人間。techerとは違うんです。教える人ではない。先生と呼ばれるからには生き方を示して欲しいとおもいます。生き方を示すプロなんて、この世の中にはそうはいません。そういう先生がたに教えられ、育てられ私もあります。全国の教員のみなさん頑張ってください。みなさんの一挙手一投足で日本は変わるのだと思います。